昭和46年生まれのデブおっさんが、思いつくままに一部の人にしか価値のない記事を書くブログです。
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訃報

ネット右翼の先駆者・蓑田狂気さんのページを久しぶりに見に行った*1ところ、PC-VAN パチンコSIGの元SIG-OPだったYen(¥)さんが今年の春に亡くなった事を知りました。インターネット初期のユーザーには、アングラサイトリンク集「うらり」の管理人だった方、でご存知かもしれません。以前の日記(id:ikasuke:20040507#p1)でも、パソコン通信時代の知り合いが亡くなった話を書きましたが、これからもこういう話が続くのか、と思うと寂しいものがあります。

当時を懐かしんで、過去ログをひとつ掘り返してみました。彼の冥福を祈ります。

#1942/1944 爆論ルーム
★タイトル (HKJ39253)  96/ 6/17  23:58  ( 20)
GOOD,OR DON'T BE                Yen
★内容

「良いのか悪いのか誰にも決められない」というセリフがある。こいつは、現在
だけでなく連鎖的に未来までも続くような事象を、誰かが現在の価値観のみで判
断しようとした場合に、それをたしなめるために「賢者」が囁く言葉として多く
存在する。どんなに普遍的に見えるものでさえ時間の干渉を受け、その干渉の程
度によって姿形を変えて現前することはいまさら説明の必要も無いことであり、
その観点では、前述のセリフは正しいと言えるであろう。

 だが、と思う。では、「誰にも決められない」という理由で「誰にも決められ
ない」ことを放棄して良いのか。全ての結果を見た後の未来の人間が全てを取り
仕切れば良いのか。もちろん、そんな訳は無い。未来への連鎖の単位は常に現在
であり、そのことは変更も修正もきかないのであるから、現在の「決定」を放棄
して未来における「決定」があるはずがない。我々は、事象の変化を踏まえつつ
予測と回顧を繰り返し、常に現在に於いてなんらかの判断を下さなければ日常の
生活を営むことさえできない。

 良いのか悪いのか誰にも決められない・・・その通りである。しかし、だから
こそ、他の誰にも決められないからこそ、我々が決めなければならない。誰にも
決められないこと決められるのは、神でも未来人でもなく、現在における我々だ
けなのである。

*1:しばらく更新が止まっていて、もう更新しないものと思っておりました(笑)